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あの海は遠く、遠く。



水夏という名前が、水夏は子供ながらに好きだった。
水夏と書いて『すいか』と読む。果物のスイカは『西瓜』だけれど、水夏の両親は果物にちなんで名付けたわけではないのだと水夏に教えていた。
その年の夏はひどく梅雨が長引いた年で、水夏が生まれた七月中旬のある日にもその雨は降っていた。その前の数年は水不足になるほど晴れ続きであったのに、今年は雨続きかあ、と水夏の父はうんざりしていた。
だがそこへ水夏の七つ上の姉である夏葉が来て、父に言った。
今年はきっと『水ぶそく』にならない夏だね。
水夏の母が水夏を出産したのは、その日の夜だった。


「お姉ちゃん、水飲み終わったら冷蔵庫にしまってって言ったでしょ」
水夏はテーブルに出しっぱなしになっているペットボトルをつかむと、冷蔵庫にしまった。
居間でテレビを見ていた夏葉はうんざりした顔で水夏を見やった。
「うるさいなあもう、水夏が小姑に見える」
「こじゅうと?」
「口うるさいばあさんってことだよ」
「夏葉、水夏に変な言葉を教えないで」
あの年以降、梅雨が長引くこともなければ水不足に悩まされることもない、平凡な夏が九回巡った。そして今年、水夏は十歳を迎えようとしている。


「水夏、聞いたか」
「海のこと?」
聞いてたかあ、と裕介はため息をついた。
水夏は裕介と並んで防波堤に座り、海を見ていた。家から海まで歩いて十分。幼い頃から水夏と裕介は海に慣れ親しんでいた。
「なんで俺たちの親って仲いいの?」
「家が隣だからじゃないの?」
「だからって、ふた家族合同で海に行くなんて、こんなに近くにあるんだからわざわざ一緒に行かなくてもいいじゃん」
まあそうだけど、と水夏は言った。
でも内心は違う。子供だけで海になんて行けない。
ましてそんなことになったら、裕介は男子たちと一緒に行っちゃう――。

幼馴染の裕介を意識し始めたのは、つい最近のことだ。
水夏には七つ上の姉がいるが、裕介にも年の離れた姉と兄がいる。九つ上の姉と、十一歳上の兄。物心ついたときにはもう二人の兄弟たちは二人と遊んでくれなかった。
そんな環境のもとで、同い年の水夏と裕介は必然的によく遊んだ。
男女の差も、まだはっきりと感じてはいない。
「水夏ちゃん!」
そう、葵が引っ越してくるまでは。
走り寄ってくる葵を見て、裕介は少し顔をしかめる。
水夏はそれを見ないふりをして、葵に笑いかけた。


葵は六歳のときに引っ越してきた。家は近くない。葵は人見知りが激しくて、天然パーマで、少し自己中心的で、自分の味方だと分かった人にはとことんすり寄る。そんな子だった。
お父さんとお母さんが年をとってから授かった子が私なんだよ、と葵はいつだか水夏に教えてくれた。確かに葵の両親はそれなりに年をとっているように見えた。葵は一人っ子だし、相当に甘やかされてきたのだろう。
何がきっかけだったかは忘れたけれど、水夏は葵に好かれた。
水夏は葵のことを嫌いなわけではない、むしろ好きだと思う。
でもべたべたされるのは好きじゃない。

葵と仲良くなってから、裕介とうまく喋れなくなった。
裕介は葵を嫌っているわけではないのだけれど、苦手だと思っているらしかった。
意識せずとも、葵を見ると顔をしかめてしまう。前にそのことを水夏が指摘すると裕介は驚いた。そしてその後、気まずそうに言った。
「俺、あいつの扱い方がわかんない」
『人を扱う』という表現を水夏が覚えたのはあの日だった。


「じゃあね、水夏ちゃん」
葵が手をふって帰って行ったのは五時だった。
結局裕介も、流されて一緒に遊んだが、葵が見えなくなると疲れたような息を一つ大きく吐き出した。多分、無意識で。
水夏はタイミングを見計らって、裕介の機嫌を損ねないよう気を配りながら言った。
「裕介、そういうの、だめだよ」
「え、何が」
「ため息」
嘘だ、と裕介は驚いた。やっぱり無意識だったらしい。よっぽど葵が苦手なんだろう。
「ごめん。・・・でもさ、水夏も、嫌なことは断れば?」
「何が?」
「ほんとは砂遊びなんかしたくなかったんだろ」
葵は運動が得意じゃないから、すぐ動きの少ない遊びをしたがった。
一方、水夏は運動が得意で、動くことが好きだから、動く遊びがしたい。
でも葵を置いてけぼりにするのは嫌だ。そう思って、自分の意見を飲み込んだ。
表に出さなかったつもりでいたけれど、裕介は見破っていたというのか。
水夏は自分の心の内が見透かされていたことを恥ずかしく思った。
でもほんの少し、嬉しい気もした。
「しょうがないじゃん、葵は運動嫌いなんだもん」
「お前だってしゃがんでるのは嫌なくせに」
葵が越してきてから、裕介との小さな言い合いが増えた。
裕介が自分のことを考えてくれているのは分かっているのだけれど、水夏は葵を否定できずにいた。葵は学校でも少し浮いた存在で、自分が突き放してしまったら葵はひとりになってしまうと水夏は思っていた。

数年前にそのことを夏葉に言ったところ、夏葉はふうんとひとこと、息と一緒に漏らした。そして幼い妹に、現実を突きつけた。
「要は、水夏はお人よしなのよ」
「おひとよし?」
「困ってる人は放っておけないし、一人ぼっちの子も放っておけない。その子のためなら自分のしたいことも我慢する。自分がその子のことを好きじゃなくても、ね」
「私、葵のこと、嫌いじゃないもん」
夏葉は笑った。水夏は夏葉に、どうして笑うのかとまだ舌足らずな口調で尋ねた。
夏葉は小さく無邪気で純粋な妹を軽く一瞥してから、逆に尋ねた。
「好きだ、って言い返してこないあたりが、あんたの本音なんじゃないの?」
台所から母が叫ぶ。夏葉、水夏に変なこと吹きこまないでよ。はあい、と夏葉は間延びした返事をして、水夏にひらひらと手を振り、自室へ戻るべく階段を登っていった。
水夏はまだ聞きたいことがあったけれど、居間を出て行ってしまった姉を追いかけるタイミングを失い、居間に取り残された。
あれ以来、夏葉には葵の話が出来なくなった。

「じゃあな、水夏」
いつの間にか家の前まで来ていた。裕介は水夏に向かって片手を上げると、家の中に入っていく。水夏は慌てて、裕介の背中に叫んだ。
「裕介」
「何?」
裕介が振り返る。水夏はどきりと胸が跳ねるのを感じた。息をひとつ吸って、一言一言、丁寧に。
「海、行こうね」
裕介はきょとんとして水夏を見つめた。
水夏は恥ずかしくなってうつむいた。
少し間をおいて、とたとたと裕介の歩み寄る音がして、顔を上げた。
その瞬間に、頭をぽんぽんと撫でられた。
「行こう、海」
に、と裕介は笑って、家の中に消えていった。うっすらと赤みのさした空の下に一人残された水夏は、とくとくと甘く脈打つ心臓の音を感じながら、自分の家の門をくぐった。

顔が自然にほころんでしまうのは、どうしてだろう。







個人誌用の話。まさかの2章から一部。笑←
視点がいっぱい変わる話なんです。これは小学生目線。
実際のところ、小4のときにこんなませたことが自分や自分の周りで起きていたのかと言われるととても困るのですが・・・^^^
でも小5のときに友達が男子に告白したとかっていう噂が流れたことはあったなあ。
真偽のほどはいかに。


















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